入学1週間で大学やめてエエエエってなった人見知りの私が留学を考えたキッカケ

花の大学生!1女\(^o^)/ワーイ

隣で友人が何やら盛り上がっていたのですが3年前の自分は1女の意味すら分からなくて、正直頭の中が ????(^ω^) でした。

 

4月になると大学では新入生向けのイベントがチョコチョコ始まります。私の大学では文系の人たちの集まりがあり、その後各学部で別れて親交を深めるみたいな感じでした。大学の入学案内の中にそのお知らせが入っていたので存在自体は知っていたのですが、まぁ面倒くさいです。同じ高校の人もいないし、初対面の人と話すのが苦手なので自分から話しかけないと行けない場には基本的に参加したくないんです。しかもそういうところに限って、始まる前から群がってる人たちがいて、お前友達いないんかって目で見てくるんです…怖すぎる…

でも参加しないともっと恐ろしいことが待ってるんです…それは4年間お友達が出来ずにボッチでテストの過去問をもらえずに単位を落としまくる日々…や、やだー!泣  しょうがないからダメ元でも参加した方がいいなと思い行くことに決めたのですが前日になって

「あれ?着ていく服なくない?」                        

高校生の時は制服だったし、勉強で忙しかったからここ1年は週末わざわざ出かけることもなかったのでとにかく私服が枯渇。しかも普段からデニムにTシャツみたいな格好だったので服はあっても完全にちょい浮くな…っていう感じで怖くて普段の格好で行くことは考えられませんでした。でもわざわざ服を買いに行くのも嫌で(いい加減にしろ自分)結局デニム、Tシャツ、の組み合わせで乗り越えることに。

 

そしていよいよ当日、会場に行くとたくさんの人が。想像していたよりボッチの人が多くて安心しました。司会の人が出てくると一人ひとりくじを引くように言われて私も近くの係員?の人が持っていたくじボックスから引きました。そこには番号が書かれていてその番号のエリアに移動するよう指示されたので渡された地図を見ながら移動しました。

私が引いた番号の場所には女の子が3人とほか男子5人?がいて、女子の1人はとっても可愛い子で髪も長くて、ちょっと方言が混じっている感じの子でした。高校の頃はサッカー部のマネージャーだったそうで男子とスムーズに会話している様子がthe 面倒見のいい女子です。一方、私はというと、その子の話を変な笑顔で聞いているだけ。正直来ている意味、、、。自己紹介はしたけど学部の違う人にいっても絶対意味ない…  その後もしばらく状況は同じまま時が過ぎ、次の企画に移りました。それはグループの中から同じ学部の人同士で話すというものでした。実は一つのグループに同じ学部の人が2人以上入るように設定されていて、私の他にも最低もう1人同じ学部の人が同じメンバーのなかにいるんです。

その人は3人いた女子のうちのもう1人の子でした。大人しそうな真面目な感じの子です。そのことしばらく話していると近くにいた女子が話しかけてきました。めちゃめちゃサバサバしていて服装も似ていたので仲良くなれそうと思いました。こうして私たち3人は大学でよく一緒に行動するようになりました。

 

オリエンテーションから1週間が経ち、授業がぼちぼち始まりました。毎日1限から授業があって結構大変でした。大学から家まで1時間半くらいかかっていたので生活は高校生の時とあまり変わらず、大学生ってこんな大変なの…とショックでした。でも周りの別の学部の子たちは楽しそうで、全休もあって…なんでうちの学部ってこんなみんな目が死んでいるんだろう、教授たちもずっと下を向いてボソボソ話すばっかりで何が楽しいのか全く分からない…おまけに授業もよく分からない…w

そんなこんなで入学から1週間で大学は嫌いになり、その後のサークル探しも大学に行くのがそもそも嫌なのに、放課後まで大学に残らなきゃいけないなんて苦行以外の何物でもないので早々にパスしました。その代わりバイト探しに明け暮れ、派遣の仕事とコンビニのバイトを掛け持ちしてやっていました。時には大学を休んでいったりしていて稼いだお金で友達やバイト先の人たちと夜遅くまで呑み、翌日の1限の授業に間に合わず、そのまま大学には行かずバイトに直行する日も何回もありました。

こんな生活をを2年近く続け、私の成績は低空飛行すら出来なくなりついに墜落寸前のところまでいきました。モチベーションが上がらない上にこの結果でもううんざりでますます行きたくなくなる日々…。そんな中、ずっと仲の良かった、あの3人のうちの女子の1人がある日突然

「休学する」

といってきたのです。わたしは言葉を失いました。彼女は、このままここにいても何も生まれない。やりたくないことをやるよりも一度落ち着いて将来のことを考えたい、そう私に言い、その足で教務課に休学届けを提出しに行きました。この時私は名前こそ伏せましたが周りの人にこの出来事を話しました。よくある「私の友達がさ〜」から始まる相談話ですw

周りの人たちの反応は1つでした。

「そんなの間違いだよ、人生めちゃくちゃになる」

私の母にも話したのですがこれと似た反応が返ってきたので、私は怖くなって自分は休学できないと確信しましたw 

でも彼女の決断を私は絶対に否定したくありませんでした。私と同じ境遇だったからこそ、気持ちが痛いほど分かりましたし、何より日本人の?諦めるのは絶対悪というような思考が自分は好きじゃないから。諦めたのではなく、むしろ自分のことを第一に考えた勇気のある挑戦だったと思うのです。

 

その後の学校生活は非常に孤独でした。サークルにも入っていない、授業にもまともに出ていなかった私には友人が全くといっていいほどいませんでした。相変わらず大学には殆ど行けませんでした。1人大学に残った私はなんとかして更正しようとしましたが、ここまできて自分の学部の勉強を頑張る気にはなれなかった&もう手遅れだったwので、何か新しいことに挑戦しようと思いました。その時ふと休学した彼女の言葉を思い出しました。

「私はもっと英語を勉強したかった。なんでこんな勉強してるんやろ、うんざりや」

そうか、英語だ。今まで勉強してこなかった自分が巻き返すには英語しかない。ものすごく安直でバカな考えでしたが、そう決意しました。しかも交換留学。その時はもう、それしか思い浮かびませんでした。そして急いで家に帰って2年前に参加した交換留学の説明会でもらった資料を確認したのでした…。

 

 

次回はその後の留学を決めるまでの過程を書きたいと思います!