辞めどきっていつだ?数々の物事を辞めてきた自分が思うこと

 皆さんは何かを途中で辞めたり、諦めたりしたことはありますか?自分自身、小さな時から習いごとやその他諸々、嫌なことがあって辞めたりしたことが何回もありました。そんな中で私が確立した、今は辞めどきかどうかの判断基準のようなものを紹介したいなと思います。

 

 判断基準はシンプルです。「そこで何かを得られたか」もしくは「何か得られそうか」ということです。

 私の場合、初めて辞めたものは確かピアノの習いごとだったような気がします。その時はそもそもピアノが好きでなかったことに加えて、先生が怖いのもあり、辞めたくて辞めたくて仕方ありませんでした。ただ私の母は何かを諦めるということを毛嫌いする人間でして、私の願いは叶わず、そのまま5年ほど続けることになります。しかしその間、練習はほとんどしなかったため曲は一向に弾けるようになりませんでした(それどころか楽譜さえまともに読めなかった)。この時幼いながら私は考え続けました。このまま続けて自分は何か得られるだろうか。そして今まで自分はピアノをやってきて何か得られただろうか、と。もともとピアノが好きでないのですから続けるのすら辛いこの状況でそれ以上のことは望めません。気合いで続けたとしても意味がないと、この時私は確信しました。結果上記のことを説明し、親は辞めることを認めてくれました。

 次に辞めたのは大学生になりたての時に始めたアルバイト3つです。(ここまでにも色々辞めたのですが、割愛)1つは店長が変な人であったこと。コンビニだったのですが私にばかりトイレ掃除をさせたり、何度も怒鳴られてナーバスに。あとはお客さんに執拗に絡まれ嫌な思いをしたこともありました。ここでは最初、私の中には「こんなことで諦めたら社会人になってやっていけない、だから続けなきゃ」という思いがありました。今まで何回も諦めたり辞めたりしてきた自分に後ろめたさがあったのだと思います。しかしもうそんなことを考える余裕のないくらい精神的に追い詰められました。耐えられない、と思ったその時、あの判断基準が自然と私の頭の中を反芻しました。

「私はこのバイト(コンビニ)で何か得られたか、そしてこの先何かを得られるだろうか」その時は研修期間も終えていて一通りの業務はできるようになっていたので、その点で「コンビニその他小売店業務で必要なスキル」は得られたと言えます。しかしこのままこの店長の下で働いていても、私にとってプラスになることも、得られるものも何もありません。ここまで考えて私は速攻その店舗を辞めました。

 

最後に、辞めようと思って辞めなかったエピソードもお話ししようと思います。私はそもそも学校が好きではなく、大学も入った瞬間につまらなくなり辞めようかと真剣に悩んだ時期が半年ほどありました。その時は何の授業に出ても将来の役に立ちそうなものはないし、自分の興味の無いコンテンツばかりで休んでばかりいましたが、とある筋から留学の話をきいて、大学にちゃんと通う必要性があるという判断に自分として落ち着き、つまらないと感じながらもここまで4年ほど通い続けました。(ちなみに小学校の低学年で不登校を経験しています。)

ここまでの人生短いながらも振り返ると、私は何でもかんでも諦めたり続かない人間なのではなく、自分なりに考えて物事を選択をしてこれた気がします。辞めた先で多くの自分に合う環境に出会え、今まで想像もしてなかった生活をして、結果的にピアノは全く弾けないけれど趣味で出会ったギターは弾けるように人間になりましたw。好き嫌いをすることで自分の周りには結果的に大好きなものだけ残り、自分の向き不向きが何と無くわかるようになりました。これがいいのか悪いのかはまだわかりませんが、この先もたくさん挑戦してたくさん諦めるスタンスでやっていこうかなーと思います。